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すまないが、プレイできそうもない・・・ [ROCKは死んだ・・・]

【リチャード・ライト】



 以前にも書いたが、ピンク・フロイドはロック史上最も成功したロック・バンドのひとつだ・・・
メジャー・デビュー以降在籍していたメンバーは五人、バレットとギルモアが同い年で、あとの三人は
二つ年上の同い年だ。


 そもそもピンク・フロイドと言うバンド名は、バレットのアイデアでアメリカのブルース奏者だった
ピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルの名前を合体させたものらしい・・・



 バンドのフロントマンだったバレットが、LSDの影響であっちの世界に行ってしまったあとに
代役で加入したデヴィッド・ギルモアが、やがてバンドのフロントマンになって行く・・・





 しかし、70年代に大作を次々に発表していた頃のバンドの主導権を握っていたのは、ほぼ全ての
作詞を担当していたウォーターズだった。


 そのウォーターズとバンド内で激しく対立していたのが、リチャード・ライトである・・・
確かに・・・ウォーターズの世界観や鋭い社会批判は、ピンク・フロイドの魅力のひとつなのだが、
ライトはもっと音楽的でエモーショナルな、バンドサウンドを望んでいた。


 あの歴史的大作ザ・ウォールの頃には、二人の対立は決定的となりライトは正式なメンバーから
外れていた・・・(このことが後に、ライト自身を救うことになるのだが・・・)



 ウォーターズ主導のザ・ウォール・ツアーは、コストを無視した完璧主義で貫かれバンドに巨額の
負債をもたらす・・・ウォーターズの独裁に嫌気がさしたメンバーはバラバラになり崩壊して行く。



 孤立したウォーターズはピンク・フロイドを終わらせるつもりで、脱退宣言をする・・・
自分がピンク・フロイドだとウォーターズは信じていたのだが、聴衆はギルモア主導のバンドを
熱狂で迎える・・・



 この後に起こるウォーターズの執拗な訴訟攻撃は、周知の通りである・・・





 2006年7月7日、かつてのリーダーだったシド・バレットが死去。




 この訃報に触れ、バレットが去った後のピンク・フロイドの方向性を模索していた当時を思い
ギルモアとライトは、ピンク・フロイドのサウンドが最初に完成した・・・と思ったのはアルバム
おせっかいの中の一曲、エコーズだと述べている・・・




 2006年のギルモア・ソロツアーにライトは全公演参加し、エコーズを演奏している
エンディングのギルモアのギターとライトのピアノの掛け合いに、涙が止まらないのは・・・
私だけではないだろう。



 ギルモアは、2008年のツアーもライトの参加をオファーしていた・・・
しかしそれはかなうこと無く、一通のメールが残されていた。



「すまないが、プレイできそうもない・・・」



2008年9月15日 リチャード・ライト 癌により死去 享年65歳。



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